強歩大会

 強歩大会も本年で第7回と回を重ねるとともに、本校伝統的行事として定着した。立案、運営に深く関わった立場から思い出を記す。

(1) 強歩大会について

 55年4月、縁あって本校に着任した私は、新設校を体育活動の活発な活力にあふれた学校にする夢を持っていた。そのためには、生徒が全力でぶつかる体育的行事も整備する必要があると考えていた。その一つが強歩大会であり、前任校での経験から素晴らしい行事とする確信があった。

(2) コースの決定について

 強歩大会について、初代教頭の野口 進先生に打診をすると、実は私も構想を持っていたんだとトントンと進展を見る。野口先生は、町の地理的条件を生かし、町の行政区画内を1周するコースはどうだろうとの意見であった。私は距離が短いのではとの考えもあったが、運営上のこと、男女共学のこと、地域に根ざす高校である等の事から野口教頭案に賛成し、下見をすることになった。

(3) 下見について

 教頭と私の下見には、忘れぬ思い出がある。日曜日の10時半学校集合。2人とも昼食も持たず、教頭が地図を持って出発。出発時刻とコースからして、昼頃通過する毛呂本郷あたりで食事をするだろうと1人合点をする。教頭は山の経験がありなかなかなの健脚であった。予測どおり昼頃毛呂本郷へ、しかし当然のごとく一気に通過する。私はコースは勿論だが昼食も心配していた。私をリードするように黙々と歩く教頭に、私は気弱にも声をかけられなかった。そして、一気に鎌北湖まで足を伸ばし遅目に昼食をとる気だとまたまた1人合点をして教頭に続く。入からの急な山道で道に迷い、道なき道を3回も登り降りする。ここで夕闇がせまる。空腹感はとうに過ぎ極度の倦怠感に襲われていた。教頭は地図を見つつ時には首をかしげつつ、疲れを感じさせない足取りで黙々と歩く。私も続く。

 鎌北湖の湖畔に到着したのは、午後6時をまわり真っ暗闇であった。そして私の1人合点の売店は無常にも閉店していた。疲労の色一つ見せない教頭に、ここで始めて気弱な私が勇気を出して食事について尋ねる。教頭は、歩を進めつつ一言もらす。「山男はキャラメル1個で1日山を歩くんだ」と。私は、なぜかこの一言で無性に元気が回復した。教頭の後方から歩くのをやめ、教頭のペースに合わせて並進して歩いた。なぜか2人のペースは上った。その日は西坂戸団地に出て川角駅経由で帰校したが、西坂戸団地あたりで足を引きづる教頭に気付いた。私に一歩遅れて歩くようになったのだ。車の手配を進言するも拒否。その直後、なんと足を引きづりつつ私の一歩前を歩くではないか。私もペースを上げて教頭に並ぶ、するとまたまた足を引きづりつつ前に出る。2人はこのくり返しをしながら学校に着いた。この間2人の会話はゼロであった。そして時刻は午後8時を過ぎていた。私は、休憩なしの歩行で、「疲れましたネ」と声をかけた。教頭の返事は「エヘヘへー」であった。私はこの後、教頭を「野口意地張」と秘かに命名した。楽しく愉快な思い出として忘れる事ができない。